2010年12月31日金曜日

tooooo late


あけましておめでとうございます。
べトナムは基本的に旧正月でお祝いするので
日本にいたときほど新しい年がきた事への実感が沸かず、
Dienくんのお迎えがようやくきたこと、
新校舎建設の作業員さんたちが今日もあい変わらずレンガを摘んでいること、
表の犬が最近4匹の子犬を生んだこと、
たくさんのアヒルの雛が母鳥を追っかけて歩いていること、
早朝から大音量の近所のテレビ。。
なんてことたちに囲まれて今日も変わらず一日が始まりました。

なんだろうな。この時間感覚。

サンタクロースも、実はまだチェコあたりでうろうろしてるんじゃないかしら。

今日は停電の日。もう間もなく、電気がおちるでしょう。

2月の日本行きのチケットを買いました。10日程帰国します。
ぼやぼやしてると一瞬で2月になってしまいそう。
掃除、整理、準備、準備。

2010年12月28日火曜日

Dien

クリスマスイヴ、寮に住む子供たちは年末年始を家族と過ごすために親御さんに連れられてそれぞれの家に帰っていった。そんななか1人、Dienだけお迎えがこない。学校側が保護者と連絡をとろうとしても電話番号も住所も学校に知らされていたものとは変わってしまっているらしく、連絡がとれない。

幸い併設している孤児院で一時的に預かってもらえることになったが、Dienは発達障害があり、事態をいまひとつ把握していない様子。寮母さんさえ帰郷してしまいガランとした学校で、いつものように1人遊びをしながら、今もお迎えを待っている。お父さんが遅いんだと手話で話してくるその笑顔がせつない。一刻も早くお迎えが来てくれることを祈る。この休みは私も学校で過ごそうと決めた。

twitter@160cm 27 Dec.

28日の今になってもお迎えはまだこない。
昨日の早朝、いつものように孤児院の方から早起きのDienが学校側にやってきた。寮のあるフロアのゲートの錠を開けると、そのまま寮の方にすたすた歩いていったので、特に気にとめないようにして自室に戻った。数分して様子を見にいってみると、Dienは曇り空を見ながら虹の絵を描いていた。











2010年12月21日火曜日

Toi da lam banh Kintsuba Modoki.


きんつばもどきを作ってみました。材料も手間も惜しんで作ったのでだいぶ素朴な感じに出来ましたが、味は悪くなかったです。とっても簡単。


よく花を摘んでくるYen.


だいたいいつも部屋を訪ねてくるメンツ。

Ve mot phong canh trong truong em.

参考作品として描きました。着任してすぐのころから始まっていた新校舎建設。旧正月が明ける頃には完成の予定。私の部屋も引越しするかもしれません。ちょっと楽しみ。

2010年12月19日日曜日

19,12,2010




前回の更新から約2ヶ月、前回と前々回の間も約2ヶ月。ブログ更新の頻度が減ったのは、インターネットが不安定でbloggerにログインするのが難しいこと、四六時中子供たちが部屋にやってくるので、集中して文章を書くのが難しいこと、学校の同僚たちに自分の存在を認めてもらうのが思っていた以上に難しく、コミュニケーションのための試行錯誤を繰り返していたことなどが主な原因。9月に新学期が始まってからこれまでの約3ヶ月、更にカマウの今いる学校に住み始めてからは7ヶ月あまり経過しているけれど、自分の中ではもう1年間は確実に経ったんじゃないかというような感覚。


けっしてめまぐるしく時が流れているという訳ではなく、いたってのんびりと日々はすぎていくのですが。


しばらくこれまでの作品制作の流れにそったようなことからは距離を置いていますが、絵は描いています。
横で描いている子供たちの世界観の広がっていき方と、柔軟性、吸収力に圧倒される日々です。



厳しかった先生方との人間関係は確実に変化をみせています。新学期が始まって2ヶ月後に提出したベトナム語の報告書と、子供たち全員の作品についての私感を述べたリストが効いた模様。新学期が始まって、子供たちとの手話がメインになり、べトナム語で話しをする機会が減ったため、先生方との会話がとても難しかった。でも、読み書きのスキルでなんとかコミュニケーションを図ってみて、これが良かったのだろうと思います。今月末にも11月、12月の報告書を出してみよう。


そうそう、ときどき刺繍もしています。


美術室に、子供たちの作品を展示するための額を設置しました。今後、ひと月ごとに作品入れ替え。



前々回のポストに書いた、Depさんのことに関して、なにか助けになれるいい情報はないかと思ってDRD(ホーチミンにある障害者福祉センター)に行ってみましたが、支援を受けるには、ホーチミン市近辺に住んでいることが第一条件とのこと。がっくり。他に何かないかしら。あと、この時、聴覚障害者のTriくんが、刺繍の作品を見せてくれて、似顔絵を描いてくれました。手話はやはりカマウのものとは違っていました。

DRDといえば、先日日本から、障がいをもった方々の介助の仕事をしている彼と、電動車椅子に乗った、彼の利用者さんがホーチミンまでやってきました。3人でDRDを訪ねたら、DRDと日本の障害者センターとの繋がりもみえてきました。案内してくれたLoanさんありがとう。



彼と利用者さんとのホーチミン観光は想像以上に有意義なものでした。健常者でさえ歩いていて困難を感じることの多いカオスな街中を、電動車椅子で動きまわるのは大変でしたがその分興味深い発見が沢山あり、これまでとは全く違った視点を獲得したように思えました。利用者さんとも短時間で距離がぐんと縮まって、また日本に帰った際にお会いできたらなあと思います。本当は名前で書きたいけれど、ひとまずはやめておきます。写真は同じくボランティアの敦子さんと一緒に4人でメコンツアーに行ったときのもの。


ああ、素敵な時間でした。みなさん本当にどうもありがとう。


数日ホーチミン観光を楽しんだあと、彼と利用者さんはホイアンへ、私はハノイへ行き、べトナムにいるボランティア全員が集まり各々の報告を行う、総会というJICAの催しに出席してきました。南部と違って北部は四季 があるので、行った頃はちょうど冬の始まりの時期。人々の服装が寒々としてきていました。あと見かけたのは、遷都1000年のお祭りの名残、クリスマスの準備。ひさしぶりに北部にいる同期のボランティアと会えて、とっても嬉しかったです。これまでのこと、これからのことを考えるいい機会にもなりました。あと、 ハノイの良さを見直す機会にも。

ブログでは触れなかったけれど、カマウ市内で知り合ったストリートチルドレンたちとは、一緒にベンチに腰掛けて肉まんを食べて以来、同じ時間帯に同じ場所に行っても再会できなくなってしまいました。彼らは今どこで何をしているだろう。


さて、夜が明けてきたので今日はこの辺で。